医者とは葬儀屋であり牧師であり坊主であり神父

こんばんは、救急科医師の久津(くづ)です。

97歳の女性が、呼びかけに反応がなくなった、ということで救急車で運ばれてきた。救急隊が患者に接触したときには、すでに心臓は止まっていた。

家族はできることは何でもしてくれ、とのことだった。救急隊の力強い心臓マッサージに揺れる、97歳の枯れ木のような肢体。否、死体。

80歳を過ぎた老人が、一度心臓が止まれば、その理由に関わらずもとの状態に戻ることはない。仮に命を取り留めたとしても植物状態となる。久津にはそれが経験上よく分かっている。それでも行う蘇生処置。

なんとか人工呼吸器に接続しようと患者の口元でやっきになっていると、患者の口から溢れた血液が久津のスニーカーを汚した。心臓マッサージにより肺が傷つき、出血したのだろう。そして結局、案の定、患者の心臓は動き出すことはなかった。

救急科医 くづ

蘇生を試みて全力を尽くしましたが、ダメでした。これから死亡確認を行います。

死亡後に、死因を調べるためのCTスキャンを行うと、ひどい脳出血を起こしていたことが分かった。

救急科医 くづ

これだけの脳出血です、おそらく苦しみを感じる間もなく亡くなったのだと思います。

根拠のない推測を述べる。

 

日本人は結局のところ無神論者だ。死後は無。死後に神に祈る余地もない。だからこそ、家族は生きているうちに患者にできるだけのことをしようとする。蘇生するはずのない蘇生行為。手を尽くした、という充足感。

医者たちも、このときばかりは坊主や神父に習って根拠のない精神論を言う。これは、死を受け入れる儀式なのだ。いいんですけどね、高い給料もらってますから。葬儀屋でも牧師でも坊主でも神父でも、必要に応じて役職を演じますけど。

ただ、97歳の体が、今際の時に血を吐くほど体を傷つけられていいものだろうか。ましてや、それが家族たちの自己満足に過ぎなかったとしたら・・・?

 

無神論者だからこそ、死を潔く受け止めてほしい。生の始まりは化学反応にすぎず、人間存在は記憶情報の陰にすぎず、魂は存在せず精神は神経細胞の発火にすぎず、神のいない無慈悲な世界に生きてなお・・・その生命の終わりを美しく潔く受け止めてほしい。 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。