自分の命すら自由に決められない日本人

こんばんは、救急科医師の久津(くづ)です。

70代の男性がお腹がいたいと言って救急車できた。CTスキャンですぐに腸捻転と診断した。もう半日来るのが遅かったら捻れて血巡りが悪くなった腸が腐って死んでいたかもしれない。今手術すれば、人工肛門にはなるかもしれないが命にはまず別状はないだろう。外科医に手術を依頼した。

しかし手術を担当することになった外科医が家族に説明をすると、あろうことか家族は手術を拒否した。この男性は足腰が立たず家族の介護を必要としていたが、性格に難ありで介護者をヘトヘトにさせていたのだ。これ以上生きてもらっては、ましてや人工肛門なんて手のかかる状態になってもらっては困るというわけだ。

結局絶食にして点滴だけすることになった。患者はあと一日二日で死ぬだろう。

 

ここで後味が悪いのは患者自身は手術をしたいと言っていることだ。主治医は今やその外科医になっており、本来久津がとやかく言える状況ではなくなっていた。しかし本人が助かりたいと言っているのに見殺しにするのは倫理的にどうなのか。

よほどその外科医に抗議しようと思ったが、過去のカルテを見て…やめることにした。二度ほど別の病気で入院していたのだが、医療者や家族への暴言や暴力の大量の記録が残っていた。よくもまぁ家族はこんな人を何年も介護したものだ。

 

逆にもう死んでもいいと思っている老人を、家族の希望で無理やり手術することもある。あまり高齢だと手術が成功しても、侵襲が大きすぎて寝たきりになることもしばしばだ。そのまま流動食を管から胃に流し込まれ、ゾンビのように生かされ続けるのだ。

いずれにせよ日本人は自分自身の命ですら自由にならない。農耕民族で、集団の決定が個人の決定より優先されるからなのかもしれない。どう死にたいかを、どう生きたいかと同じくらい真剣に考えて、家族によくよく伝えておくべきだ。でなければきっと不本意な死に方をする。

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