ゴム紐にくくられた老人

こんばんは、救急科医師の久津(くづ)です。

89歳の男性が、熱が出た、といって救急車で運ばれてきた。久津は心底うんざりした。なぜってこの患者は、苦労してようやく1週間前に退院させたばかりだったからだ。ここ3か月で3度目の救急要請である。退院してすぐに調子を崩し救急要請、というのを繰り返している。

いつも通り、今回も肺炎だった。この老人は老化によって嚥下機能が落ちている。食べ物がうまく食道に入らず、気道に入ってしまい、肺炎になるのだ。

食事を、トロミをつけたり刻むようにして工夫する。すると食事が変化した影響で血圧が下がる。血圧の薬をやめる。その影響で体のミネラルのバランスが崩れる。それを補正する薬を開始する。その副作用で精神が錯乱し暴れる。ベッドにしばりつける。日がな動かないから筋力が低下して歩けなくなる。リハビリを開始する・・・

 

老人というのは、平均台の上を進んでいるようなものだ。少しでもバランスを崩せば転落する。若者のように、多少体調を崩しても自身の力でバランスを取り戻すことなどない。

平均台の上の老人が右によろければ、左に押し返す。すると今度は左によろけるから、そっと右に押し戻す。絶妙な力加減でようやく命をつないでいく。そうした介入がようやく調和し安定して、やっとこさ家なり施設なりに帰す。だが結局すぐに体調を崩して戻ってくる。

ゴム紐でもくくられているんじゃないか?というぐらい、突き放しても振り払っても戻ってくる。今度はさらに細い平均台に乗って。

 

結局、この患者は我々の厳密な管理なしでは生きられないのだ。最初の入院の時点で寿命といっていい。それを医療の力で先延ばし先延ばしする。ひどく神経を使う仕事なのに、大した意味もない。うんざりする。

医療者と家族と本人の苦痛を伴ったこれらの医療行為は、信仰を持たない日本人にとっての、死を受け入れるための儀式なのだ。我々は司祭だ。疲れ切った司祭が、最期のときにかける言葉はひどく短い。

 

手を尽くしましたが、駄目でした。ご臨終です。

 

他に一切の説明もしない。説明を求められたこともない。家族からすれば、難しい医学的な説明など聞いても分からないし、最善を尽くした、ということに確信がもてれば十分なのだから。

この患者も、遠からず死ぬ。それを分かっていて、俺たちはなお・・・

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